135年の歴史を誇る、神戸元町商店街。
そこにはさまざまな店主(あるじ)の営みがあります。このコーナーでは商売のみならず音楽、絵画、書、陶芸、スポーツにいたるまで多彩な能力を発揮する現役店主(あるじ)を紹介していきます。趣味と商売の間を右往左往する人間模様をお楽しみ下さい。
今月は6丁目「赤坂屋呉服店」の元町の芸術家 赤坂 通夫さんをインタビューしました。
書道を始められたのはいつですか。きっかけは何だったのですか。
「高校2年生の時にお稽古を始めました。自主的というよりはむしろ、両親から、おまえは字が下手だからと言って、行かされたというのが正直なところです」
でも現在までずっと継続してこられた。
「かれこれ47年になります。高校3年生の時に一端やめましたが、卒業した18歳の頃からこの店で商売を続けるようになり、再開しました。この間商売と両立させながら、毎日書き続けています。こう言うとかなりのベテランのようですが、書道の世界ではけっして古い方ではありません。私たちくらいの年齢でも、3・4歳から始めたという方がたくさんいらっしゃいますから」
プロ級の字を書かれると聞いていますが
「書道グループの飛雲会に所属しており、若い頃は作品展にも出品していました。でも今は、商売と両立させながら出品作品を書こうと思うと、連日夜中の3~4時まで書き続けなくてはならず、体力的に難しくなりました。それで最近では、商店街が開催する「元町の芸術家たち展」のみに出品しており、あくまで趣味の世界で楽しむというスタンスでやっています」
書道のどこに魅力を感じていらっしゃるのですか。
「元来書道とは、白と黒の世界だけに、絵画や音楽などと比べると確かに地味ですが、そのぶん奥が深い。墨と筆、紙のみを使って、人の心に響く文字を書く。まぎれもなくアートです。だから自分を表現できる点に魅力を感じています」
それは若い頃から。
「正直言って、60歳になってやっと、楽しいと感じられるようになりました。上手に書かなくてはならないというしがらみから、解放されたと言った方が正しいのかもしれない。先生についてお稽古をしていますが、毎月テストがあり、良い点を頂きたいという思いからずっと離れることができなかった。以前はその苦しみがずっとつきまとっていました」
そんなものなのですか。解放されたきっかけは。
「ターニングポイントは、発達障害を持つ人の書を観たことです。上手に書きたいとか、人に上手と思ってもらいたいという気持ちが全くないことで、かえって観る人にインパクトを与えるということがわかり、本当にショッキングでした」
以後、書を書くスタンスはどのように変わりましたか。
「上手下手にとらわれず、もっと純粋な気持ちで書きたい。だからこそ観る人に、書き手の心の有り様がダイレクトに伝わる。そんな書を書きたいと強く思うようになりました。でも、なかなかその境地まで到達できません」
難しそうですね。
「自分の思うままに書くこと。それこそ自我とのせめぎ合いです。毎日書き続けて、自分の自我を崩していく。強いて言えば、あえて上手な字を書かないということでしょうか。北大路魯山人が『下手な字ほど飽きがこない』と言いましたが、まさにそのとおりだと思っています」
下手な字を書くことで自分の個性を表現する......ですか?
「そうです。自分の気持ちが、観る側にダイレクトに伝わる字を書く。上手な字は均整がとれていますが味がない。下手で味のある字を書く。子どもの頃に書いた字を書きたい。子どもの絵は、人の心を打つでしょう。それと同じことです。それでいて、65年間生きてきた故の人生観を表現するのです」
実際、どのように書かれるのですか。
「とにかく書き続けることです。朝から晩まで書き続ける。書き始めは、上手に書きたいという思いがありますが、100枚くらい書いているとそんな気持ちが薄れ、字がこなれてくると同時に、字に張りも出てくる。そうなるとしめたものです。この間ずっと気を張り詰めていますから、かなりの精神力を要します」
素人から見ると、墨をするのも大変そうですが。
「放置すると腐りますから、書く前に、そのつど墨をする。6000回くらいするのが普通です。あと、わざとかすれさせたりにじませたり、そのへんも墨のすりかたで左右されますから、大切な作業です」
商売との両立はどうのように。
「ずっと店の奥で書き続けています。お客様が途切れたら、さっと奥に入って書くということを長年続けてきました。」
書の題材は、どのように探されるのですか。
「幅広いジャンルに題材を求めます。そのため本を読んだり、ネットで調べたりと、なかなか勉強になります。『我が名はサロメ』と、聖書の一節を書いたこともあります。
将来の夢や目標は。
「まだまだ修行中です。精進するのみです」(2012.11)