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夢街道
洋服の話(8)
元町、という地名が登場するのは明治七年の五月である。以来、町名の根拠は、はじめにできたまち、もとのまちということになっている。
洋服の話(8)
2017/01/10
夢街道
明治7年5月20日、時の県令神田孝平によって名付けられた元町通、以来、2004年5月20日で130年になる。元町は、西国街道をそのまま取り込んだ元町商店街を中心に、居留地のハイカラも取り入れて、いまも神戸を代表するまちである。村の時代から街へ、そこにはどんな人達が暮らし、商い、まちを動かしてきたのか。歴史があるのに記録がない。誰かまとめてくれる人があれば、そんな声に背中を押され、無謀を承知で「元町」の扉をひらくことにした。
神戸洋服
日本近代洋服発祥の地を讃える顕 彰碑の栞から「神戸洋服」という固有 名詞のあることを知った。その固有名 詞は、どこから生まれたのか、その成 りたちを探ってみたい。
日本で、もっともはやく洋服姿と接 することができたのは、国内で唯一、 外国との窓口になっていた長崎だ。 が、幕府により、和装のしきたりが決 められていた日本人には無縁だった。 国内で洋服を見 るようになるの は、神戸より9年 早く開港した横 浜だ。横浜で開い た洋服商は、消費 者の多い東京に 広がっていく。鹿 児島でおこった 西南の役は、軍服 調整で洋服業界 に活況をもたらすが、神戸では一部の ことで、地理的にも、神戸はその圏外 にあり、一つ物屋といわれる洋服の技 術にひたすら取り組んできた。
ヨーロッパ人の身だしなみを見慣 れ、生活の全般にわたって欧風文化を 取り入れてきた神戸の人を客として、 仕立職人も洋服商も新しい技術を吸 収し、腕を競い合う。手のこんだ服や装 飾品は神戸に限るといわれ、洋服に馴 染んだ人の間で、いつの頃からか「洋服 は神戸」と言われるよになっていく。
明治の初めから特権階級のはく付 けとしてブームになった洋行も、神戸 洋服の進歩に手を貸した。神戸は外国 向け、特にヨーロッパ向け船舶の出発 点であり、洋行族は、欧州技術直伝の 神戸の洋服商で旅装を整えるのを誇 りとした。神戸で新調の洋服に身を包 むのは、西洋にあこがれる人々に魅力 的なイメージを想像させ、神戸洋服の 名前をひろげていく。
明治10年代、洋服の世界に名をとど めた人々は、技術はもとより経営手腕 にも優れ、神戸はもちろん東京から九 州まで商圏をひろげていく。高級官僚 や経営者層に愛 用された柴田音 吉に代表される 独特の技術を もった10人をこ える神戸の技術 者たちが、神戸 洋服の名を全国 的に高めた先駆 者たちだ。神戸 新聞出版セン ター発行の「兵庫探検 近・現代編」で、 「神戸洋服」の特徴を聞かれた当時神 戸洋服商工業組合相談役渡邊利雄は 「欧州直伝の高度な技術、神戸の地域 社会が育てた伝統のセンス、職人気質 で貫く誠実な仕事」とたたえた上で、 「神戸の景観」も作用している、とい う。六甲の緑とエキゾチックな街並み が、同じ洋服でもアカ抜けしてきれい に見せるらしい、とは取材者の感想だ が、「神戸洋服」は、いまもハイカラ神 戸の街に息づいている。
岩田照彦
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